マンガもいろいろ読んでいた。ここ2〜3日は桜玉吉鈴木みそについてずっと考えている。これはとても難しい問題なのだ。正直言って両者ともあまり好きではないのでかえって好き勝手に書いてしまえるが、どちらか選べと言われたら鈴木みそに軍配を上げそうだ。桜玉吉鈴木みそを比べて、「どっちを選ぶか」などという下品な質問をすることに意味があるのかという向きもあろうが、同じファミ通で描いていたとか、桜玉吉と入れ替わりになる形で鈴木みそが連載を続けたということはもちろん、「しあわせのかたち」の最終回と「あんたっちゃぶる」「おとなのしくみ」の終わり方など、両者には対比できる要素が多いと感じるため、考えてしまわずにおれない。桜玉吉の内省的な作風は本当に素晴らしいと思う。「御緩漫玉日記」一巻の前半は、確実に「幽玄」で自分がやったことを理解し、そこからさらに踏み出そうとするものだ。しかし、彼は自己を追求し、批評する姿勢を最終的に避け、「自虐的な笑い」と「周囲(編集部)いじりの笑い」に逃げることを許してしまう。いつも最後には許してしまうのだ。かつ、自分のその逃げにひどく自覚的である。「真面目になりきれない」「あえてハズしてしまう」自分を理解しながら、表現としても人間としても踏み出さない。鈴木みそはあの我の強さや思ったことを言い切ってしまうアクの強さが最初からあって、個人的には「この人と意見が一致しないとケンカになりそうだなあ」という人であるが、しかし自分のことをはっきり、あっさりと決められる人間としての強さに今は魅力を感じる。「普通のバランス感覚を持った普通の人」で、だから何でも自分を軸に理解できようとしている。両者ともある意味でアナキストたろうとしているが、それでもどちらか選べと言われたら鈴木みそかなと言うのはそういうわけである。でも本当に、両者ともさほど好きというわけではないし、でも好きな漫画を描いている人たちだな。こんなこと書いて何の意味があるのか本当にわからないけど、消してばっかりなのも意味がないのでこの文章は投稿してみよう。