忙しい。

この yuzuruha_nekoさんといういうかたは、自分のポリシーに則って、基本的にトラックバックを飛ばさないし、コメントも滅多にしないようです。自身のブログではトラックバックもコメントも受け付けていません(替わりにサイドバーに掲示板へのリンクがひっそりとつけられている)。

私はこのやり方自体を批難するつもりは全くありませんが、そんなやり方をする彼女が「表で堂々と言えない人々がはてブで陰口を叩く」と発言する事に激しい矛盾を感じ取ります。
http://d.hatena.ne.jp/ekken/20060527/p2

うーん、これはどうかなあ。「どうかなあ」とぼくが思うのは、ekkenさんが捉えているはてなブックマークというものが、ぼくと違うからだと思うのだけれど。

彼女は自身のブログで「ネットウォッチ」と称して他者のサイトに言及していますが、その行為とはてなブックマークで他者のサイトについてコメントを書く行為に、いったいどの程度の違いがあるというものでしょうか?

はてなブックマークは、複数のユーザーの名前がたくさん書いてあって、短文でコメントがつけられるという形式自体が全然違うんじゃないかなあ。
で、はてなブックマークの人は、コメントやタグを使って、相互にコミュニケーションを図っていたりするので、大げさな言い方をすれば、そこで「はてなブックマーク的な世論」のようなものを見る人に与えると思うんだ。コミュニティであるというのはそういうことなのだから、そんなものはないとは言えないだろう。
かつ、「注目のURL」だっけ、ああいうシステムによって次々にいろんな人がブックマークしにきて、ときには面白がってコメントする人すら、いるかもしれない。
そういう状況と、1人のブロガーとして、ブログ上で何かを書くのが一緒だとは、ぼくは思わないな。はてなブックマークは、むしろ、2ちゃんねるなどに近いと思う。全く同じというわけじゃないし、そういう言い方をすると怒る人がいるかもしれないけど、少なくともekkenさんの言う例よりは形式的に似ていると思う。
たぶん、ekkenさんは、形式はともかく、はてなブックマークでコメントを付けることと、コメントもトラックバックも受け付けずにブログを書くことのメンタリティは一緒だろう、って言いたいんだと思う。つまり「表で堂々と言えない」「陰口を叩く」態度だということだ。でも、同じじゃないと思う。ブックマークの人は、記事ごとに自動生成されるHTMLファイルに遍在することが可能で、そこでコメントして、たとえ批判に晒されようとも、自説を覆されようとも、閉鎖したりする必要はない。外部から見れば、常に全体の中の一人であって、つまりこんなプレッシャー耐えられない!と思う必要がない。それについて「表で堂々と言えない」「陰口を叩く」態度であると考える人がいるだろう、というのは想像に難くない。
「そんなことはない。批判にもさらされうるし、ユーザー個々のページが存在するのであるから個別のサイトだと言えるし、閉鎖する人もいる(かも)」という意見もあるかもしれないけど、b.hatena.ne.jp/entry/なんとかいうURLが存在して、そこでみんなのコメントがわっと集って、なんだか自分に対して否定的なのが多くて、対話までしていて、Refererの大半がそこであるのなら、ぼくがコメントされるサイトの側なら、1つずつ別だなんて思わない。「こいつら、よってたかって!」と思うだろうね。
まあ、実際ぼくなら、そうなったらサックリ無視しちゃうか、どうしても何かをするなら、気に入らない奴に一人ずつねちねちねちねちイヤミを言ったりするのか、というかそもそも何人にどのように言及されようが、大して気にならないと思うけど、そういう態度が正しいとも思わない。例えば、ただ「怖い」と思ってしまう人がいたっておかしくはない。また、タグの意味をじっくり考えたり、あの短いコメントから発言の真意を読み取れない人がいるかもしれないとは、あえて考えないこと(なぜなら、ちゃんと書いてあるのだから誤読する方が悪いのである)こそが、論理的であり正しいとは、ぼくには思えない。少なくとも、コミュニケーションを行うための場においては。むしろ思慮が浅いと思う人だっているだろう。
「違う、自分はそういうふうには使っていない」という人がいるかもしれないけど、あのentryというページを見たときに、個別のユーザーの違いを意識してもらうのは、ちょっと難しいと思う。ブックマーク数が多ければ特に。はてなブックマークのユーザーでなければ特に。はてなユーザーでなければ特に。
だから、コメントやトラックバックを受け付けずに「ネットウォッチ」的なブログを書くことと、ブックマークが、メンタリティ的に同じとは、考えにくい。ちょっとずるい言い方をすると、同じなんだったら、ブックマークなんて、いらないもんね。

話はちょっと変わるけど、ekkenさんは倫理の話をしているようにも見えて、実は論理的な矛盾についてしか話していない。なぜだろう。
ekkenさんの「他人の俺ルールを指摘しつつ自分の俺ルールに気付かない罠」というような言い方は、最近のはてなでよく見る気がする。つまり、はてなの言論は、相手が論理的に破綻しているということをいかに言うかというゲームに近づいてるような気がする。相手の言ってることをメソッドメソッドと言って、議論をパターンに落とし込もうとするのも、一部はこれが目的になっているものがあると思う。
まあ、ぼくがこういうふうに書いているのもパターン化しようとしてるじゃないか、と言われると困るんだけど、うーん、それはトートロジカルだからパスということにさせてもらいたいなあ。
なぜ論理的な破綻を指摘するのが専らになっているかというと、はてなというブログで行われる「議論」の上では、倫理という不確かな基準は邪魔なので、かなり早い段階で捨てることが可能になった*1からじゃないだろうか。
倫理という、いかにも相対的に成り立っていそうな基準を残すと、「どっちも正しい」または「どっちも正しくない」と言い得てしまうから、基準として使わないことにした方が議論は長持ちするし、面白くなる。それと、結論(勝ち負け)が作れる。それともう1つ、論理的な方が勝てる。
でも、議論のために倫理基準を棚上げするのは、論理的な間違いがないかどうかだけで消去法的に「正当性」が決定されていく危険性があって、今のはてなには、ぼくはそういうものを感じる。それは開かれた言論とは違うと思うし、イヤだなあと思う。
ekkenさんは、たとえば「お前のやっているのは下劣なことだ」とか、そういう倫理的な領域しか持たない言い方だと、ヘタをすれば目糞鼻糞みたいなことになっちゃうから、そういう言い方はしない。だから、相手のやり方自体がいい悪いとは言いませんよ、と断った上で、矛盾の指摘を行っているんだと思う。こうすると、「相手は非論理的であり間違っている」という、別の話になる。ついでに「自分は論理的で正しい」とも言える。相手の非論理性を指摘できるほどに論理的なんだ。でも、これって議論というものになっているんだろうか?ぼくは議論とか論争とか、討論とか、そういうのに疎いのでよくわからないなあ。少なくとも、意見交換にはなってないよね。お互いにとって。
本来なら、倫理は基準が曖昧であるからこそ、それにかかわる話はむしろ慎重にしなければならないし、「結論」を導き出すのを避けてもいいはずと思う。倫理を論理的な問題に置き換えることは、議論のための議論ではうまくいくけれども、本来の目的が相互理解とか意見の交換だとすれば、そういう方法が有益かどうかは疑問だ。*2
そもそも、論理だって結局は倫理や感情から乖離して築かれるわけじゃないから、この考え方はとても歪だ。そして、はてなにおいて特に発達してしまっただけの理屈なので、どこでも通用するわけじゃない(どこででも通用する理屈などない)。だから、外部とはてな内を容易に繋いでしまうはてなブックマークは、その倫理について外部から批判を浴びやすいし、擁護しにくいのではないかと考えられる。
はてな的には、ブックマークに対する批判は、システム的な問題じゃなくて、使い方(倫理)の問題にされると思う。はてなはそういうサービスで、ユーザーの善意を信じて作られている面が大きい。だから、はてなブックマークについても、よっぽど何か問題があるならユーザー同士が何とかし始めるだろう、と考えていそうなバランス感覚を感じる。ちょっと、ひろゆきさんに似たやり方かもね。それはまあ、余計な話だけど。
ただ、ブックマークはコミュニティ内部と外部が触れ合うので、コミュニティ内部の人たちがいいと言っているからいい、というふうにはいかないんじゃないかな。もっと爆発的にユーザー数が増えたら、それこそユーザー側に「何かこいつはまずい」とか言い出す人が増えて、対策しなければいけないような状況になるかもしれないけど。まあ現状はそうもいかないんじゃないかなあ。

*1:倫理という不確かな基準は邪魔なので、かなり早い段階で捨てることが可能になった……正確には、倫理基準について話し始めると、意図的に安易な相対主義が持ち出されてその無意味さを強調され、話をやめざるを得なくなっているのではないか。ここでは、そのような形の相対主義が成り立つのであれば、論理的な正しさもまた相対的価値基準の1つにしかできなくなるという点がわざと見過ごされているように思う。

*2:そういう方法が有益かどうかは疑問だ。……本来の目的が論争自体なのであればそれでいいが、ブログってそういうものなんだろうか?よくわからない。そして、はてなブックマークに対する批判を見るに、必ずしもそうじゃないと思うのだが。