otsuneさんが、ぼくの書いたことについて考えを述べてくださった。
http://mohican.g.hatena.ne.jp/otsune/20060602/p1

ある価値観からは「論理的なやり取り」が「むなしい」と見えるし「正しいわけじゃない」と見えるだろうというのは、まったく同意します。

ええっと、ぼくは「論理的なやり取り」が「むなしい」とは書いていないので、どうしてそういうふうに読まれたのか、びっくりしちゃった。「論理的なやり取り」を「むなしい」と感じる人がいるだろうってことはわかるけど、それって、論理的な対話のやり方自体がダメだとか、そういう話だよね。たぶん。ぼくはそうは思わないな。まあ、ぼくの書いた文脈で言うと、「論理的なやり取りもまたむなしい」と、なるかもしれないけど。でも、どちらかというとぼくが「むなしい」と書いたのは、論理的な話し方と、そうでない人が、てんでばらばらのような形で話し続けることについてかな。
とにかく、ぼくは、文章力がないのだろう。すまない気持ちで、いっぱいだ。

ただ、自分の思想について、メリットとデメリットを客観的に考えてみるというのは生活していく上での脆弱性が減るのでオススメだなぁとは思ったり。

これはとても素晴らしい考え方で、ぼくもそうありたいな。「脆弱性が減る」というのは、ちょっとよくわからないけど(あと、「ムラ社会」というのもよくわからなかった)。でも「オススメだなぁ」という態度も含めて、好きだな。
もっとも、ぼくはきっと、いつも客観的であり続けたりはいられやしないけど。というか、客観性って、なんだろう。客観性だって思っているものしか、ないような気がする。
それはともかく話を戻すと、はてなを見ていると、自省した結果デメリットがないということについて、それを「一般通念上正しい」とすり替えたり、相手の考え方のデメリットを強調することで、自分の正しさの傍証にするような態度がままあって、好きじゃない。もちろん、それが理屈として筋が通っている場合もあるから、過去にそうであった経験から、今それこそが常識であり正しいとする人が増えてしまったのではないかと思う。でも、正しいということと、メリットやデメリットは、厳密には分けて考えなきゃいけないことだと思うな。