2ちゃんねるやブログで貼られている、政治的な内容を含むコピペが、デマだという話。

コミュニケーションを一元的に見た場合、このような反応は社民党バッシングによって継続されている「ネタ的コミュニケーション」を断絶させないために自己生成されているが如くで、それなら「動画マダー」と動画を待ちわびつつ、しかし動画はいつまでたっても投下されないのだから、延々とコミュニケーションを続けることができるのかもしれない。であれば、社民党バッシングにコミットしていた人のうちおそらく大部分の人は、仮にこのエントリーを読んだとしても、「それがたとえデマでも、とりあえず社民や福島瑞穂はキライである」というように自らの認識を新たにはしないのかもしれません。なぜなら、それが事実であるか否かは端的に意味を持たず、別のネタを探せば事足りるからです。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060606/p1

これは、その通りですね。だれかを糾弾する姿勢が持続されれば、「事実」かどうかは問題ないのだろう。
何らかの事実があるから、相手に不快感を抱いたわけではなく、始めから不快感しか存在していない。もっと言えば、不快感も存在しないのだけれど。
それが露呈した時点で、真実かデマかは問題じゃなくなる。chikiさんは、ちゃんとそこまで言及している。デマかどうかを調べただけじゃないのだ。これは、誠実な態度だと思った。
ネットで、みんな「ソースが」「裏取りが」みたいなことを言いながら、実際に議論を成り立たせているのは、検証主義でも実証主義でもない、どっちチームに組するかというゲームにすぎないことが示されている。
だから、この考察を読んでなお、噂が真実かデマかにこだわる人は、chikiさんの考察をゲームの一環に引き戻そうとしているんだと思う。たぶん無意識に。それは、ときに彼らの主張を無効化する発言をする人を、「敵側」に組み入れようとする作業でしかない。ぼくは政治のことがわからないから、漠然と「敵側」としか言えない。
ついでに言うと、その糾弾の根拠になった「事実」ってのが、案の定、倫理的にしか判断できない内容で、それについて「正しくない」と言っているだけだったので、面白いやら、ばかばかしいやら。でも、ぼくもこんなことを書いていたら、彼らには敵に見えるのかもしれない。変なの。
というか、みんな、どうして、自分の支持政党のここがいいって話をしないんだろう。そんな話は全然盛り上がらない。誰かがダメだって話ばっかり。
こんなの政治の話に限らない。全部、こんな調子で議論が行われている。
さて、ぼくらは、対立関係を維持するための嘘で幸せになれるのだろうか?